読書について(小さな幸福)

映画やアニメが好きなひと、日常的に観ている人は多い。

けれど「読書が趣味です。」とハッキリ言う人はそれに比べると少ないと思う。

 

それが良いとか悪いとかではない。

ぼくも映画が好きだし、一部作品によっては熱狂的なアニメオタクだ。

 

ただ、読書が好きで、かつ将来的に古本屋開業を目指している身として、それはなぜなのか考えてみることは必要だ。

 

まず、ひとつ挙げられるのは、

「読書は、作品と読者が一体となってようやく成り立つ」ことが大きいだろう。

岡崎武志さんのなにかの本で書いてあった表現を借りると、「読書は不便」だということだ。

 

映画やアニメなどは、作品がほとんどの情報を与えてくれる。

山も、川も、人の表情も。

 

けれど例えば小説の場合、そのような外面的なことでも読者の想像を要する。

そのうえ、心理描写などもある。

 

想像することはある程度頭を使うし、知らない漢字や言葉が出てきたら一旦物語がストップする。

その時にそれを「めんどくさい」と思った経験をした人は少なくないだろう。

ぼく自身も読書を始めた頃は、これに悩まされた。

 

だから、「本を買ったけど読めてない。」という人のなかにはこのような理由の人もいるのではないだろうか。

 

けれど、せっかく味わおうとした物語を「めんどくさい」または「難しい」というだけで放棄してしまうのは、非常に勿体ない。

それを乗り越えれば、一生の趣味になるかもしれないのに。

 

まったく読書をしなかった頃から、今日までの読書好きになったぼくの限られた経験ではあるがそう思う。

 

ただ、読書を「しなければいけない」となるのが一番よろしくない。

その時点でむしろ読書が嫌いになる可能性があり、それだけは避けるべきだ。

 

ぼくは知らない言葉や漢字が出てきたとき、「めんどくさい」と思う前にすぐに辞書で調べるようにしている。スマホで検索でもいい。

そして、「知らなかったことを知る喜び」を調べる度に感じている。

 

たったひとつの言葉だけれども、昨日の自分は知らなかったことを今日知った。それだけで、なにかわからないがとりあえず「前進」していると思える。

 

人間は言葉を話せるし、字を書くこともできる。

 

ぼくが思うに、日常で使わないとしても同じ人間がつくった言葉を知ることは無駄ではない。

 

今まで出会った読書好きの人たちに共通する印象として、「小さな幸福を幸福と思える人」が多い。

 

誰かに優しくされたとき、共通の話題で盛り上がったとき、そして知らなかったことを知ったとき…。

人一番「楽しい」と思える。

そんな人が読書好きな人に多い気がする。

 

その「小さな幸福」が重なれば、その人はとても魅力的な人間になるだろう。

だって、自分自身を満たす術(すべ)を無意識でも知っているのだから。

 

先ほども言ったように、読書は強制されるものではない。

が、その「小さな幸福」が一冊の本でも、

たくさん詰まっていることだけは知っていてほしい。

 

※思ったことを一気に書いたので誤字・脱字や、間違った表現があるかもしれません。ご了承ください。