夢の旅

朝起きて、歯を磨き、会いに行く。

秋は静寂、静寂、静寂。

 

このまま、どこかの果てへ行きたいものだ。

人にはとっくに、倦怠した。

 

本を抱えて、ひとつの歌を口ずさみ、

古びた革靴が破れるまで。

こころが、わたしが、枯葉のように散っていくまで。

 

あてもなく、海を、森を、砂漠を、歩みたい。

それらで吹く風、友として。

 

ああ、この飽きたこころに別れを告げ、

過去も記憶もさよなら、さよなら。

 

ポケットにつっこむ冷えきった手。

口ずさむ歌。

 

ずうっと夢見る、わたしのうた。

秋の松風園にて

小さな庵の庭を、ゆっくりゆっくり歩く。

ズボンのポケットに、少し冷えた手先を温めながら。

 

横顔にさした秋の夕焼けが、遠くの山の上から広がってくる。

庭の木々や鳥たちまでも、今日を懐かしく思っている。

 

目を空に向けると、枝先の真っ赤な紅葉が、秋の風に揺れている。

あおいあおい大きな舞台のなかで、彼らが楽しそうに話をしているようだ。

 

そうして彼らも、いつかは緑の地面にはらはらと落ち、生を終えるのだ。それでも、彼らは赤いいのちを残して…

 

そこまで思って、ようやく今年の秋を知る。

金縁眼鏡を通して見た叙情的な色彩や、からだに触れる空気は、遠くの故郷を思い起こさせる。

 

紅葉をひとつ拾って、ポケットにしまった。

孤独な秋を、思い出すために。

 

 

 

分からないこと

僕には、世間一般の形式が理解できない。

いや、分からない。

それによって何が生まれ、何の利益があるのかが、分からない。

 

人は悠々自適な生活と精神を望んでいるはずなのに、何か目に見えぬ恐ろしい魔物の奴隷となっている。

 

それをなんとか無意識に目隠しするように、欲望を求め、一時の快楽を生き甲斐とする。

 

僕はそれらの人々を非難する訳でも、批判する訳でもない。ただ、分からないのだ。

こんな、どんよりとした雲のようなものが漂っていることに。

 

金は必要だ。だが、他人に自分の時間を多く与えてまで、得る必要があるのだろうか。

最低限度の生活費を稼ぎ、娯楽に少し使える程の金で充分なのではないか。

 

もちろん、志がある上で金が必要で、今は忍耐の時と判断し、精一杯働くことは素晴らしいことだ。ただ、僕が分からないことは、行き先の決まらぬ航海をなんとなく突き進むことである。

 

行き先は途中で変更されるかもしれない。けれども、まずは目指すところがあると、航海も楽しいだろうし、無駄な欲望の解放のために時間を使うことも馬鹿らしくなるだろう。

 

 

ぼくの部屋

ぼくの部屋は、全ての俗世界から遮断された

唯一の芸術的な異空間に満ちている。

棚には書籍が並び、並び切れないものは積み重ねられている。

その表情は叙情を帯び、太陽が輝くときには溌剌とし、雲が覆う日にはうつむき気味だ。白い雨が降ると、それらははらりと雫をこぼす。

月が顔を出す美しい夜には、僕に夢をプレゼントする。

僕は小さくて、か弱いスタンドライトを頼りに全身を委ねるように活字を読みつづける。

そのとき、僕はやさしい雲に乗って僕を離れる。そして、未だ見ぬ僕を運ぶ。

行先も知らぬ汽車に揺られる気分である。

 

欲を脱し、いや、忘却し、ただひたすらに対話する。誰とも知らぬ夢をかたどった何者かと対話する。

こうして、今日が過ぎ、明日が来る。長いのか短いのか未知の命も、こうして過ぎてゆく。

23歳のちいさな蛍

情けないことだが、吹っかけた。

エゴイズムを吹っかけた。

彼女のこころを視ることもなく、

幼稚な言葉が、どくどくと

口から溢れ出す。

瞳はかすかに白くなり、暗くなり、

彼女は濡らした、こどものように無邪気な目を。

涼しい山脈のような、大人しい目を。

 

許してくれ。許して欲しい。

若さだとも、虚栄心のせいだとも言わない。

 

ただ、ただ、あなたを想うがために

一匹の、弱った蛍のようなきもちで

つい、つい、あなたを忘れてしまった。

 

こんな人間でも、愛してくれて…

ありがとう。

浜辺の男

浜をゆったり歩く男が

小石を拾って、ああ、まあるいと言う。

山高帽に月光が降り注ぎ

煙草の煙はたかく揺らぐ。

 

男はふと思い出す。

彼女を…やさしい花のような彼女を。

 

小石をようやく月に放り、

さらばと告げるは彼の過去?

 

僕はそれを窓から眺め、

晩夏の風と、男の思い出を頬に知る。

 

 

彼は自分を知らなかった。

彼は自分を知らなかった。

自分の影がどんなに薄いかを知らなかった。

 

彼は自分を知らなかった。

傷ついたとき、相手を憎んだ。

 

彼は自分を知らなかった。

名利私欲の世界しか歩いてこなかった。

 

彼が自分を知ったとき、

一輪の花を愛し、人を愛し、自分を愛することを幸福とした。