深夜の雨
騒がしい街が眠った深夜に、
突然、ごーっと降り出した雨。
布団のなかで、天井を見つめていた僕は
手を取られるように、寝床を抜け出し、窓をあける。
「未来へ」という名の蔓橋で怯える僕に、
その音は優しく紛らわせてくれて、涙も雨に溶けていく。
二十三歳、溺れる
ただただ、黙々と、読んでいた。
言葉を、文学を、精神から愛しているんだと強く、強く感じる。
生きてるって思える。
生きようと思える。
僕はまだ子どもで、言葉に対して不器用で、
小説や詩に触れる度に、贅沢な焦燥感の波に溺れ死にそうになる。
もっと、もっと、言葉を愛し、文学を愛し、
己の血肉にしたい。
そのために、時間を抱いて、懸命に、若さなりに、もがいて、表現したい。
どこかで、光ってる僕が待っている。
幻なんかじゃないと思う。
二十三歳の僕は、非常に言葉の美貌に惚れ込んでいて、己の殻を突き破ろうと、この手が傷んで泣いている。
ああ、頬を拭ってほしい。
そうして、ウイスキーをぐいっと飲み干して、ぼんやりと本棚を、光る己を見つめてる。
かみのけ
ちょっと短くしてみたの。
あなたが好きなように。
あれ?分からないのかな。
もうちょっと短くしてみたの。
んん、気付かないみたい。
このままじゃわたし、つるつるてんになる。
今日も怠惰
いつものように窓際の席につく。
昨晩は、机の上でぼんやりと時間を、四角い部屋を、静寂を見つめていた。
気づけば夜明けに近づいていて、無理に造作した眠りについた。
街飛ぶカラスの声に、目が覚めた。
不思議といやらしい感じはしなかった。
時計を見れば、11時36分。怠惰とはこういうことだなと笑ってしまう。
ふらふら揺らぐ僕の頭と反対に、太陽は人々を祝福している。元気だなあ、よしよし。
髪の毛がずいぶん伸びてきた。耳にかかってきた。元からのくせ毛がどこか太宰っぽくて粋になる。
歯をごしごし磨いたら、太陽に負けないくらい今日を謳歌してやると思えた。
そして、意気揚々といつもの店に向かった。
目覚めの一口、コーヒーが沁みる。
怠惰も悪くないもんだ。
内田百閒の短編をひとつ読んだ。文も今日を生きている。あんしん、あんしん。
窓の外をぼんやり見つめる。
明日のことをすっかり忘れてる。
今日は今日でしかない。今は今でしかない。
怠惰も悪くないもんだ。
ぎこぎことおやじが店の前につく。
雑に自転車をとめる。
そこに婦人ふたりが、やってくる。
どうやら知り合いらしい。
婦人のひとりは、たいへん陽気だ。
「お茶でもしましょう。」
おやじが言う。婦人たちも自転車を、こちらは丁寧に止める。
午後の、あたたかい風と一緒に入ってくる。
その風は僕の鼻を茶化してきた。
おやじと、婦人ふたりと、
僕と、マスターと、風と。
店内はとってもやさしいジャズが流れる。
怠惰も悪くないもんだ。
人間も悪くないもんだ。
今日も悪くないもんだ。
明日もきっと悪くないもんだ。
5月11日
笑ったり、真面目になったり、不機嫌になったりする言葉というヤツにずいぶん悩まされてる。
じわじわと感情に追い詰められている。
人はなんで表現するようになったんだろう。
始まりはなんだったんだろう。
月は話さないのにあんなに綺麗なんだよ。
ほら、こうして頬杖をつきながらぼんやりと、ノートの果てしない白に、何も絵の具をぶちまけることができない。
置時計が僕を見つめてて、
それにこたえることもできないんだ。
本棚には、言葉がぎっしり整列していて
これだけ繊細に、大胆に、いろんな言葉を踊らせることもできると思うと、また僕は縮こまってしまう。
でもね、穴蔵に閉じこもって、愛すこともできないのはとっても寂しいよ。
生きてるからには、ちっちゃい貝殻でも送りたいよね。